コーヒーと私とあなたと

数年前に書いた読み物っぽいもの。
すげぇ淡々とコーヒー淹れてるだけだけど、こういうのも時には。


ガラスの容器に詰められた黒い豆達を入れて、
焦げ茶色のスプーンが1回、2回。頭上を往復していく。

下半分の木製の部分ですら身長と同じくらいあるコーヒーミルに、
ザラジャラと音を立てながら、黒い豆達が入れられていく。
それなりに大きな音だが、この後に比べればまだマシな方だ。

ハンドルに手をかけたまま、頭上の顔がこちらを見る。
このまま続けてもいいのか?ということだろう。
コーヒーミルと私の距離はせいぜい15cm、歩幅で言えば3~4歩ほどだ。
いや、私にとっては3~4歩でも、頭上の彼からすれば両手の幅よりも短い。
長さだけではない。
今の私には小さな音や振動も大きなものに感じられるのだ。

まるで小動物でも見るような目で見られているのが気に食わないが、
大きく頷いて問題ないことを伝えた。


コーヒーミルのハンドルが回り始めると、轟音と揺れが私を襲う。

音の方は想像通りというか、想像以上というか。なかなかの大音量だ。
いつも聞いている音じゃなかったら今頃、耳を塞いでいたかもしれない。

振動の方はもっと激しい揺れを想像していたが、かろうじて立っていられる。
……机の脚に付けてある耐震ゴムのおかげかもしれない。
おそらく座っている方が安定するのだろうが、
この揺れの中では座ろうにもなかなか座れない。


コーヒーミルのハンドルを回すこと自体は簡単だ。
きちんと円を描くように回すことができれば、幼稚園児にだってできる。
問題はコーヒーミルそのものの揺れ。
左手できちんと押さえていないと、ハンドルを回すどころではないのだ。

ここからでも、目の前にある左手が力強くコーヒーミルを押さえているのが分かる。
その時だ。ハンドルを回す右手に力を入れすぎたのか、コーヒーミル全体が大きくズレ動いた。
……心臓が止まるかと思った。やっぱりもっと後ろに下がっておくべきだったか。


ゴリガリと音を立てて、
川原の石くらいだった豆が、石炭のような黒い粒へと変わっていく。
この石炭の行き先は真赤に燃える火室ではなく、
羊皮紙にも似た色合いのペーパーフィルターの中だ。

ドリッパーにピッタリと付けられているペーパーフィルターの下には、
水族館の水槽くらいに大きなサーバーがある。
書かれている目盛りを見る限り5杯分まで入るらしいが、今日も今日とて2杯分だけだ。


今の私の背丈はサーバーの注ぎ口よりも低いくらいで、
当然、サーバーの上に置かれたドリッパーは見上げることしかできない。
その中に溜まっていく黒い粒も、蛍光灯の影でしか分からない。
ただそれでも、なんとなく2杯分を挽き終わったことは感覚で分かった。


頭上の腕がコーヒーミルのハンドルから手を離して、
コンロの上でカタカタと鳴っていたケトルを持ち上げる。
像のように細長い注ぎ口のついた縦長のケトルだ。
注ぎ口を外して風車を付けたら、風車小屋に見えなくもない。

微かに頭上から聞こえてくる呼吸が変わった。
コーヒーを淹れるこの瞬間は、誰でも気合の入ってしまうものなのだろうか。
かくいう私も、自分で淹れる時は不思議と気合が入ってしまう。
コーヒーで目が覚めるのではなく、淹れることで目が覚めると言ってもいいくらいだ。


まずは軽く湿らせる程度に注ぐ。
良い豆は、ここでふわっと良い匂いが広がるものだ。
……サーバーの真横にいる私のところでも感じられるほどに。

少しの間をあけて、細く渦を描くように注いでいく。
それに合わせてひとつ、ふたつ、と滴が落ちて、
次第にそれは細い水の柱になっていく。


豆の種類、焙煎、挽き方、淹れ方、
そのなにもかもがコーヒーの最終的な味に直結する。
もちろん、その時々の部屋の温度や湿度も、少なからず影響があるはずだ。

まったく同じ味のコーヒーはおそらく、二度と生まれない。
いや。もしかしたら気づいていないだけで、何度も生まれているのかもしれない。
こうして目の前の水槽が赤黒く透ける液体で満たされていく光景も、
誰も語らなかっただけで、過去に誰かが体験していたことかもしれない。



あっという間に水槽の水位は私の膝より高く、2杯分になる。
ポタポタと雨漏りのように黒い液体が落ちているが、残りはただの出涸らしだ。
無理に飲んでも美味しくないし、とても飲めたものではない。
頭上の腕がケトルから手を離して、ドリッパーを流し台へと持っていく。


微かに香ばしい、良い匂いが一際強く広がる。
水槽……サーバーの中を見ながら待っていると、視界の左端にマグカップが2つやってきた。

私の首元くらいの高さのマグカップに、赤黒い液体が心地よい音と共に入っていく。
私の頭くらいの角砂糖が2つマグカップの中へと落ちて、
コーヒーの赤黒さとは正反対の、真白なミルクがマグカップの中で混ざっていく。


そんな光景を角砂糖に座って眺めていて、ようやく気づいた。
このたった13.5cmの背丈ではせっかくのコーヒーが飲めないことに。